尼子経久の似顔絵

尼子経久のイラスト

尼子経久

あまごつねひさ
(1458-1541)
室町時代後期〜戦国時代の武将・大名
室町幕府出雲守護代

尼子清定の嫡男。父を継いで出雲守護代になると、寺社領や段銭を押領して独立を図ったため解職され、居城月山富田城を追われる。1486年、奇襲により富田城を奪回し、主家の守護京極氏に代わって出雲の支配権を掌握。以後、山陰・山陽へ進出して「11州の太守」と称されたが、安芸で周防大内氏と抗争し、大内方へ転属した毛利氏とも交戦、また三男興久が反乱を起こすなど支配体制は流動的だった。80歳で隠退後は孫晴久の後見を務めた。

関連人物

  • 尼子清定(出雲守護代):父。月山富田城主。
  • 吉川経基(安芸の国人):舅。応仁の乱で細川方として活躍した勇将。
  • 京極政経(出雲守護):旧主。一族の内紛に追われ、尼子氏の台頭を許した。
  • 山名澄之(伯耆守護):守護職を巡る内紛に付け込まれ、尼子氏の侵食を許した。
  • 大内義興(周防の大名):旧主。安芸国内で尼子氏と攻防を繰り広げた。
  • 尼子政久(尼子家一門):長男。将来を嘱望されたが、父に先立って戦死。
  • 尼子国久(尼子家一門):次男。尼子軍の中心勢力「新宮党」の頭領。
  • 塩冶興久(尼子家一門):三男。領地の不満から有力国人と結んで蜂起。
  • 尼子晴久(出雲の大名):嫡孫(政久の子)。
  • 毛利元就(安芸の国人):被官。後に大内氏に転属し、尼子氏と対立。

参考資料

  • 尼子経久像(洞光寺蔵)
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