朝倉義景の似顔絵

朝倉義景のイラスト

朝倉義景

あさくらよしかげ
(1533-1573)
戦国時代の武将・大名
越前朝倉氏第11代当主

朝倉孝景の長男。父の死後に家督を継ぎ、重臣朝倉宗滴の補佐を受けた。1565年に将軍足利義輝が暗殺されると、亡命した弟義昭を本拠一乗谷で歓待。しかし上洛の催促には応じず、後に義昭を奉じた織田信長の上洛要請も拒否した事で、信長の攻撃対象とされる。1570年、浅井長政と共に近江姉川で織田・徳川連合軍と戦うが敗北。武田信玄を中核とする信長包囲網も破綻して越前への侵攻を招き、さらに家臣の相次ぐ離反により滅亡へ追い込まれた。

関連人物

  • 朝倉孝景(越前の大名):父。一乗谷に京文化を開かせ、最盛期を築く。
  • 朝倉宗滴(朝倉家重臣):同族。一族の重鎮として軍政を補佐。
  • 足利義輝(第13代将軍):主君。偏諱「義」を与えた。
  • 足利義昭(第15代将軍):主君。義輝暗殺後に来訪して上洛を催促。
  • 浅井長政(北近江の大名):盟友。朝倉氏滅亡後ほどなく自刃。
  • 顕如(本願寺第11世):子の教如と義景の娘を結婚させて同盟。
  • 織田信長(尾張の大名):上洛要請を拒否し続けた義景と敵対して殲滅。
  • 徳川家康(三河の大名):姉川の戦いで激突。
  • 武田信玄(甲斐の大名):西上作戦で信長打倒の好機を逃した義景を非難。
  • 朝倉景鏡(朝倉家家臣):従弟。義景を自害へ追い込み、信長に降伏した。

参考資料

  • 朝倉義景像(心月寺蔵)

(2017/02/06 改作)

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