足利基氏
あしかがもとうじ
(1340-1367)
南北朝時代の武将
室町幕府初代鎌倉公方(関東公方)
足利尊氏の三男。1349年、叔父直義が幕府の内紛で失脚し、鎌倉府にいた兄義詮が政務を執るべく上京するため、入れ替わる形で鎌倉へ下った。執事畠山国清の補佐を受け、南朝方の新田義興を武蔵矢口渡で討つなど、関東平定を進める。のち専横が過ぎて諸将の不満を集めていた国清を追放し、上杉憲顕を関東管領・越後・上野守護に再任。これに反発する下野の宇都宮氏綱らを自ら降し、足利・上杉両家による鎌倉府の支配体制を基礎付けた。
関連人物
- 足利尊氏(初代将軍):父。観応の擾乱後、基氏と共に関東の平定を進めた。
- 足利直義(副将軍):叔父。基氏を関東下向の際に養子にしたとされる。
- 足利義詮(第2代将軍):同母兄。基氏に先だって鎌倉御所として関東を統治。
- 足利直冬(直義派の武将):異母兄。
- 足利氏満(第2代鎌倉公方):嫡男。次第に幕府から自立する動きを見せる。
- 高師冬(関東執事):観応の擾乱で直義派の上杉憲顕と対立して敗死。
- 畠山国清(関東執事):義兄。南朝勢の駆逐に功をなすが、専横が過ぎて失脚。
- 上杉憲顕(関東管領):山内上杉家の祖。上杉家による関東統治の地盤を築いた。
- 新田義興(南朝方の武将):鎌倉奪還を目指すが、基氏・国清によって討死。
- 宇都宮氏綱(下野守護):越後・上野守護職を奪われ、基氏・憲顕と敵対。
- 芳賀禅可(宇都宮氏重臣):憲顕の守護職再任に反発して基氏軍に挑むが敗北。
- 義堂周信(臨済宗の僧):基氏に招かれて鎌倉に下り、禅を通じて親交。
参考資料
- 足利基氏坐像(瑞泉寺蔵)