足利直義の似顔絵

足利直義のイラスト

足利直義 / 恵源

あしかがただよし / えげん
(1306 -1352)
鎌倉時代末期~南北朝時代の武将

足利貞氏の三男。兄高氏と共に倒幕に加わり、建武政権で成良親王を奉じて鎌倉将軍府を執権する。北条時行の乱に際して幽閉中の護良親王を暗殺。尊氏が京で幕府を開くと政務を委ねられ、世に「副将軍」と呼ばれた。1349年、執事高師直との派閥対立が激化すると、南朝を利用する奇策で師直派を一掃。さらに尊氏・義詮父子とも衝突し、東国へ逃れて抗争を続けるが、次第に勢力を失って降伏(観応の擾乱)。幽閉先の鎌倉で急死した。

「家柄にしがみついて立身しようなどとは決して思うな。文の道をたしなみ、将軍の支えとなって、その徳によって立身すべきである」と、朝な夕なに錦小路殿(直義)は仰せになっておった。

今川了俊「難太平記」

関連人物

  • 足利尊氏(初代将軍):実兄。元々兄弟仲は良好だった。
  • 高師直(初代執事):政敵。職掌の権限を巡って確執を深めていった。
  • 足利義詮(将軍家継嗣):甥。直義を激しく敵視していた。
  • 足利直冬(直義派の武将):甥で養子。九州・中国地方で実父尊氏に対抗。
  • 桃井直常(直義派の武将):直義派最右翼として尊氏に敵対し続けた。
  • 成良親王(後醍醐の皇子):鎌倉府将軍として奉じられて鎌倉に下った。
  • 護良親王(後醍醐の皇子):建武政権で失脚し、北条時行の乱に際して暗殺。
  • 北条時行(北条氏残党):得宗家遺児。鎌倉幕府再興を図り将軍府を一時奪回。
  • 土岐頼遠(北朝方の武将):光厳上皇に狼藉し、直義の命で処刑された。
  • 北畠親房(南朝方の総帥):両朝講和交渉に望むが相譲らずに決裂した。
  • 夢窓疎石(臨済宗の僧):直義の帰依を受け、禅問答をするなど交流。
  • 北条泰時(鎌倉幕府第3代執権):直義の政治の理想とされた。

参考資料

  • 伝源頼朝像(神護寺蔵)

(2017/03/21 改作)