足利義詮の似顔絵

足利義詮のイラスト

足利義詮

あしかがよしあきら
(1330-1367)
南北朝時代の武将
室町幕府第2代将軍

足利尊氏の嫡男。4歳で父の名代として新田義貞の鎌倉攻めに加わり、北条氏滅亡後は叔父直義と関東統治を行った。やがて観応の擾乱で直義が失脚すると上洛して政務を代行し、直義派の異母兄直冬や南朝勢と京都争奪戦を繰り返す。父の没後に将軍となり、細川氏や斯波氏の執事・管領職を巡る権力闘争が続く一方、大内氏や山名氏など敵方の有力守護を帰参させ、幕府の安定化に努めた。晩年に細川頼之を管領に任じ、幼少の嫡男義満の補佐を託した。

関連人物

  • 足利尊氏(初代将軍):父。母は鎌倉幕府最後の執権赤橋守時の妹。
  • 新田義貞(南朝方の武将):鎌倉進撃中に幼少の義詮を奉じ、軍勢を増強させた。
  • 足利直冬(直義派の武将):異母兄。反尊氏派を率いて西国各地で転戦。
  • 足利基氏(初代鎌倉公方):実弟。義詮の上洛により関東統治を任された。
  • 足利義満(第3代将軍):嫡男。「義満」の名は後光厳天皇から賜った。
  • 佐々木道誉(政所執事):腹心。義詮を補佐しながら調停役として暗躍。
  • 細川清氏(執事):幕府内で権勢を振るうが、道誉の策謀により失脚。
  • 斯波高経(宿老):子の義将の執事職を後見するが、道誉と対立して失脚。
  • 細川頼之(管領):道誉の推薦を受け、義満の補佐を託された。
  • 大内弘世(南朝方の武将):周防・長門守護職の認可を条件に幕府へ帰順。
  • 山名時氏(直冬方の武将):山陰5ヶ国の守護職の認可を条件に幕府へ帰順。
  • 楠木正儀(南朝方の武将):幕府・北朝との講和交渉を図ったが失敗した。

参考資料

  • 足利義詮木像(等持院蔵)
  • 伝藤原光能像(神護寺蔵)

(2017/03/06 改作)

タイトルとURLをコピーしました