足利義視の似顔絵

足利義視,義尋のイラスト

足利義視 / 義尋

あしかがよしみ / ぎじん
(1439-1491)
室町時代中期~後期の天台宗の僧・武将
室町幕府将軍継嗣・西幕府将軍

足利義教の十男。幼くして浄土寺に入り義尋と号する。26歳の時に兄義政の継嗣として還俗し、のち生まれた甥義尚への中継ぎと位置付けられた。文正の政変後、応仁の乱が勃発した当初は東軍に擁されるが、次第に孤立して出奔を重ね、西軍へ転じ将軍に擬される(西幕府)。泥沼化の果てに大乱が終息し、義政と和睦して美濃へ逼塞。将軍義尚が早世すると上洛して子義材を新将軍に擁立、大御所として幕政を後見するも、ほどなく病に倒れた。

古寺の かりねの旅の 夜嵐に 芭蕉ならねど 夢ぞ破るる

「応仁記」
応仁元年(1467)8月26日
出奔中の詠歌

関連人物

  • 足利義教(第6代将軍):父。義視は庶子だったため僧籍に預けられた。
  • 足利義政(第8代将軍):異母兄。大乱中に東西に別れるが、最終的に和睦。
  • 日野富子(将軍御台所):義姉。義尚後継に義材を推すが、後に対立。
  • 足利義尚(第9代将軍):甥。義視の出奔を受けて将軍職を継承。
  • 足利義材(第10代将軍):嫡男。義視の死で政権基盤を失い孤立化した。
  • 伊勢貞親(政所執事):義尚の乳父。義視の排斥を謀るが失敗して一時失脚。
  • 細川勝元(管領):讒訴された義視を擁護し、逆に貞親ら将軍側近を追放。
  • 山名宗全(但馬守護):西軍総大将。西軍に転じた義視を「将軍」に担いだ。
  • 北畠教具(伊勢国司):大乱中に京から出奔した義視を伊勢に保護した。
  • 土岐成頼(美濃守護):大乱終結後、義視父子を本拠美濃に庇護した。
  • 細川政元(管領):義尚後継に清晃(義澄)を推して義視父子と対立。

参考資料

  • 歌川貞秀:「武家百人一首」より
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