足利義材 / 足利義尹 / 足利義稙
あしかがよしき / あしかがよしただ / あしかがよしたね
(1466-1523)
室町幕府第10代将軍
足利義視の子。伯母日野富子の推挙を受け、24歳で将軍に就任。前将軍足利義尚の遺志を継いで近江六角氏、河内畠山氏の征討に赴くが、1493年に宿老細川政元らによって将軍職を廃された(明応の政変)。越中・越前を経て周防大内氏のもとで雌伏し、細川氏の家督争いに乗じて1508年に再上洛、将軍に復帰する。しかし管領細川高国とも対立して京を出奔、再び将軍職を奪われ、亡命先の阿波で没した。その流転の生涯から「流れ公方」と呼ばれる。
関連人物
- 足利義視(足利氏一門):父。亡命先から上洛し、大御所として義材を後見。
- 日野富子(大御台):伯母。義材の将軍就任を支持するが、後に相続問題で対立。
- 細川政元(宿老):幕政の実権を巡って対立し、明応の政変を引き起こした。
- 畠山政長(宿老):義材を擁して実権を握るが、明応の政変に遭い自害した。
- 畠山尚順(紀伊守護):政長の子。流転する義稙を支持し続けた。
- 六角行高(近江守護):領地横領の咎で再度追討対象となるが、難を逃れた。
- 足利義澄(第11代将軍):従兄。明応の政変で義材に替わって擁立された。
- 大内義興(周防守護):亡命した義尹を庇護し、上洛して管領代となった。
- 細川高国(管領):政元の養子。上洛した義尹を復職させ、幕政の実権を掌握。
- 後柏原天皇(第104代天皇):義稙の出奔に激怒し将軍不在のまま即位式を挙行。
- 足利義晴(第12代将軍):義澄の子。出奔した義稙に替わって擁立された。
参考資料
- 足利義稙木像(等持院蔵)