足利義澄 / 足利義高 / 清晃
あしかがよしずみ / あしかがよしたか / せいこう
(1481-1511)
室町幕府第11代将軍
足利政知の子。当初は天龍寺香厳院に入り清晃と称する。1493年、将軍足利義材と対立していた管領細川政元らのクーデターによって擁立された(明応の政変)。その実態は傀儡に近く、「天下」の威令も畿内近国しか及ばなくなっていた。1507年に政元が暗殺され、細川京兆家の家督を巡る内紛が生じると、周防大内氏のもとで雌伏していた前将軍義尹(義材改め)が軍勢を率いて上洛。近江へ逃れて将軍職の奪回を目指すが、果たせないまま没した。
関連人物
- 足利政知(初代堀越公方):父。弟足利義政に関東統治を任され下向していた。
- 足利茶々丸(第2代堀越公方):異母兄。政知死後に義澄の母と弟を殺害。
- 足利義稙(第10代将軍):従兄。北陸や西国で雌伏し、義澄の将軍職を奪還。
- 細川政元(管領):明応の政変で義澄を担ぎ、幕政の主導的地位に立った。
- 日野富子(大御台):伯母。明応の政変の支援者。
- 伊勢貞宗(宿老):前政所執事。明応の政変を支持し、義澄・政元政権を後見。
- 伊勢盛時(幕臣):明応の政変に連動して反義澄派の茶々丸を討ったとされる。
- 大内義興(周防守護):政元死後の細川家の内紛に乗じ、義尹を擁して上洛。
- 細川澄之(管領):偏諱「澄」を賜った。政元死後の家督争いでいち早く敗死。
- 細川澄元(管領):偏諱「澄」を賜った。義澄方として京を追われ、高国と抗争。
- 細川高国(管領):偏諱「高」を賜った。上洛した義稙・大内方に寝返った。
- 足利義晴(第12代将軍):嫡男。
参考資料
- 足利義澄木像(等持院蔵)