長宗我部元親
ちょうそかべもとちか(1539-1599)
戦国~安土桃山時代の武将・大名
土佐長宗我部氏第21代当主
長宗我部国親の嫡男。22歳で家督を継ぐと、土佐の諸豪族を制して勢力を伸ばし、1574年に国司一条兼定を追放して土佐を統一。さらに阿波・讃岐・伊予にも侵入して四国の制覇へ乗り出した。しかし豊臣秀吉に攻められて降伏、土佐一国を安堵される。1586年、秀吉の命を受けて九州征伐に従軍、戸次川の戦いに敗れて嫡男信親を失う。以降、小田原征伐や文禄・慶長の役にも参加するが、かつての覇気は失われ、家督相続を巡る家中の混乱を招いた。
関連人物
- 長宗我部国親(土佐の大名):父。
- 香宗我部親泰(長宗我部家家臣):弟。
- 一条兼定(土佐の国司):元親の台頭と自家の内紛により豊後へ追われた。
- 十河在保(阿波の大名):中富川の戦いで元親に敗れて降伏。
- 織田信長(尾張の大名):元親に領地返還を命じて合戦寸前になった。
- 羽柴秀吉(尾張の大名):元親に領地返還を要求して大軍で降伏させた。
- 羽柴秀長(羽柴家家臣):秀吉の四国攻めの総大将。
- 島津家久(薩摩の武将):戸次川の戦いで元親ら四国勢を敗走させた。
- 長宗我部信親(土佐の武将):嫡男。戸次川の戦いで島津軍に討たれた。
- 長宗我部盛親(土佐の大名):四男。後の大坂城五人衆。
参考資料
- 長宗我部元親像(秦神社蔵)