宇多法皇の似顔絵

宇多天皇,宇多上皇,宇多法皇のイラスト

宇多天皇 / 源定省

うだてんのう / みなもとのさだみ(867-931)
第59代天皇

光孝天皇の第七皇子。18歳で臣籍降下して源氏を称する。887年、父帝の病気悪化により、太政大臣藤原基経の推挙で皇族復帰して践祚。即位に際し、基経への関白就任を要請する詔勅の解釈を巡って「阿衡事件」が起きている。菅原道真を重用して親政を行い、権門(有力貴族・寺社)の力を抑制する律令回帰路線を採用、後世に「寛平の治」と呼ばれた。しかし譲位後に道真が左遷される政変が発生、子の醍醐天皇と確執を抱えた事もあった。

関連人物

  • 陽成天皇(第57代天皇):定省が侍従を務めた。
  • 光孝天皇(第58代天皇):父帝。
  • 醍醐天皇(第60代天皇):第一皇子。即位時に「寛平御遺誡」を賦与された。
  • 藤原基経(公卿):関白任命の詔勅を巡り、阿衡事件で宇多に示威した。
  • 橘広相(学者):関白任命の詔勅の起草者。
  • 源能有(公卿):寛平の治を推進した重臣。
  • 菅原道真(学者):基経の政務放棄を諌め、宇多の篤い信任を得た。
  • 藤原時平(公卿):基経の子。道真と併用するよう、宇多が醍醐へ諭した。
  • 素性(歌人):宇多主宰の歌合に参加。
  • 伊勢(歌人):宇多の寵愛を受けた。

参考資料

  • 宇多法皇像(仁和寺蔵)

参考リンク

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