藤原冬嗣
ふじわらのふゆつぐ
(775-826)
平安時代初期の公卿・歌人
藤原内麻呂(北家)の二男。父の意向で嵯峨天皇の許に近付き、蔵人所の設置により蔵人頭となる。いわゆる「薬子の変」を経て式家が没落すると、急速に昇進を重ねて晩年に左大臣にまで上った。嵯峨の信任篤く、勅命により「弘仁格式」「内裏式」の編纂に当たり、また皇室との血縁関係を強め、北家隆盛の基礎を築く。一方では氏寺の興福寺に南円堂を建て、子弟の教育機関として勧学院を設立するなど、藤原氏全体の繁栄のためにも尽力した。
ふるさとの 佐保の河水 けふもなほ かくて逢ふ瀬は うれしかりけり
「後撰和歌集」
関連人物
- 嵯峨天皇(第52代天皇):即位以前より冬嗣を信任。
- 仁明天皇(第54代天皇):婿。冬嗣の長女順子が女御となった。
- 文徳天皇(第55代天皇):外孫。ただし生まれたのは冬嗣の没後。
- 藤原内麻呂(公卿):父。長男真夏を平城に、次男冬嗣を嵯峨に配した。
- 藤原真夏(公卿):兄。平城天皇の近臣。
- 藤原長良(公卿):長男。基経の実父。
- 藤原良房(公卿):二男。初の人臣摂政。
- 藤原良相(公卿):五男。
- 藤原順子(仁明天皇の女御):長女。文徳天皇の生母。
- 藤原緒嗣(公卿):式家。「薬子の変」の余波で冬嗣の後塵を拝した。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より
参考リンク
- 藤原冬嗣の歌(やまとうた)