藤原麻呂の似顔絵

藤原麻呂のイラスト

藤原麻呂 / 藤原萬里

ふじわらのまろ
(695-737)
奈良時代前期の公卿・歌人
藤原京家の祖

藤原不比等の四男。721年に左右京大夫に任ぜられる。長屋王の変後に瑞字のある亀を献上、これを機に妹光明子の立后と天平への改元が実現した。731年には参議・兵部卿となり、藤原四子政権に参画。737年、持節大使として陸奥へ派遣され、大野東人と共に多賀柵から雄勝村へ至る連絡路を開いた。同年に帰京するが、当時流行していた天然痘によって急死。酒と音楽を愛する文人でもあり、「万葉集」「懐風藻」に詩歌が残されている。

麻呂は日頃から「上に徳の高い君主がおわし、下に賢い臣下がいる。僕のような者が何ができようか。やはり琴と酒に専念するだけだよ」と語っていた。その死に際し、友人たちは血の涙を流すほどの悲しみであったという。

「尊卑分脈」『麿卿伝』

関連人物

  • 聖武天皇(第45代天皇):麻呂から瑞亀を献上され、天平へ改元した。
  • 藤原不比等(公卿):父。異母妹である五百重娘との間に麻呂を生む。
  • 藤原武智麻呂(公卿):異母兄。
  • 藤原房前(公卿):異母兄。
  • 藤原宇合(公卿):異母兄。
  • 藤原光明子(聖武天皇の皇后):異母妹。天平改元後に立后が実現。
  • 新田部親王(皇族):異父同母兄。
  • 藤原浜成(公卿):嫡男。学才に優れたが、政治家としては不遇だった。
  • 大野東人(武官):陸奥按察使として、奥羽連絡路の開通を建言。
  • 大伴坂上郎女(歌人):大伴旅人の異母妹。一時交際していた。

参考資料

  • 菊池容斎:「前賢故実」より

参考リンク

(2016/10/04 改作)