浜口雄幸の似顔絵

浜口雄幸,濱口雄幸のイラスト

浜口雄幸

はまぐちおさち(1870-1931)
明治時代~昭和初期の官僚・政治家
第27代内閣総理大臣

土佐国出身。旧姓は水口。帝国大学法科卒業後、大蔵省へ入り専売局に勤務。後藤新平に認められて立憲同志会(のち憲政会)に入り、加藤内閣で蔵相、第1次若槻内閣で蔵相・内相を務めた。のち立憲民政党の総裁となり、1929年に首相に就任。緊縮財政と金解禁を断行して協調外交を推進、ロンドン海軍軍縮条約問題では反対論を抑えて批准するが、野党や軍部から統帥権干犯として攻撃される。移動先の東京駅で右翼青年に狙撃され、翌年に死去した。

関連人物

  • 後藤新平(台湾総督府民政長官):浜口を引き抜いた。
  • 加藤高明(第24代首相):浜口が蔵相として入閣。
  • 若槻礼次郎(第25代首相):浜口が蔵相・内相として再任。
  • 井上準之助(蔵相):財政緊縮・産業合理化を推進し、金解禁を断行。
  • 幣原喜重郎(外相):対中関係の改善と英米との協調外交を展開(幣原外交)。
  • 財部彪(海相):若槻と共にロンドン海軍軍縮会議の全権として参加。
  • 犬養毅(立憲政友会総裁):軍縮条約問題に統帥権干犯を絡めて浜口内閣を攻撃。
  • 平沼騏一郎(枢密院副議長):軍縮条約問題で浜口内閣を攻撃。
  • 伊東巳代治(枢密顧問官):強硬外交を支持して浜口内閣を攻撃。
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