日野富子の似顔絵

日野富子のイラスト

日野富子

ひのとみこ
(1440-1496)
室町時代中期~戦国時代初期の女性
室町幕府第8代将軍御台所

日野重政の娘。16歳で将軍足利義政に嫁ぐ。のち嫡子義尚を産み、既に将軍継嗣と定まっていた義弟義視を排斥する動きが生じる。ここに管領斯波氏・畠山氏の家督争い、諸大名間の抗争などが絡み、宿老山名宗全と細川勝元による勢力均衡が崩れ、1467年に応仁の乱が勃発。大乱が長期化すると兄勝光に代わって東西両軍の講和交渉を担い、種々の利殖活動で幕府と朝廷の財政を賄った。義尚・義政の死後に尼となり、なおも御台として影響力を保った。

御台所(富子)は天下を牛耳り、お金をどれほどお持ちか分からない。大名も利子を払ってこれを借り、天下の富はことごとく御台所へ集まっているようだ。

尋尊「大乗院寺社雑事記」
文明9年(1477)7月29日条

関連人物

  • 足利義政(第8代将軍):夫。夫婦仲は険悪だった。
  • 日野勝光(公卿):兄。将軍縁者として幕府・朝廷内で権勢を振るった。
  • 足利義尚(第9代将軍):次男。六角征伐の陣中で両親に先立って病没。
  • 足利義視(足利氏一門):義弟。将軍職を巡って父子二代で対立。
  • 伊勢貞親(政所執事):義尚の乳夫。義尚を擁立すべく義視の排斥を謀った。
  • 山名宗全(但馬守護):応仁の乱・西軍総大将。
  • 細川勝元(管領):応仁の乱・東軍総大将。
  • 足利義材(第10代将軍):甥。富子の後援で擁立されるが、後に敵対。
  • 足利義澄(第11代将軍):甥。細川政元らとの協力で擁立された。
  • 細川政元(管領):富子らと共謀して将軍廃立(明応の政変)を決行。
  • 伊勢貞宗(政所執事):義尚の養育係。富子・政元らの将軍廃立を支援。
  • 一条兼良(公卿):富子の庇護を受けて学問を指南した。

参考資料

  • 日野富子木像(宝鏡寺蔵)

(2017/03/05 改作)

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