北条時宗の似顔絵

北条時宗のイラスト

北条時宗

ほうじょうときむね(1251-1284)
鎌倉幕府第8代執権
北条家第7代得宗

得宗北条時頼の嫡男。将軍宗尊親王の下で元服し、小侍所別当、7代執権政村の連署を務め、18歳で執権に就任。やがて蒙古襲来の危機が迫ると、重臣の補佐を受けて国内の反得宗勢力を封殺し、挙国一致体制を敷いて国防を強化。文永の役後、降伏を勧めた元朝使節を処刑する断固たる姿勢を示し、弘安の役では西国御家人の奮迅や石築地(防塁)が奏功して元軍を撃退した。戦後、恩賞問題や再度の侵攻への対策など難題を抱えたまま病に倒れた。

関連人物

  • 北条時頼(第5代執権):父。出家後も最明寺殿として実権を維持した。
  • 宗尊親王(第6代将軍):烏帽子親。後に幕府転覆の疑いで将軍職を更迭された。
  • 北条時輔(北条氏一門):庶兄。得宗への権力一元化のため、二月騒動で粛清された。
  • 北条実時(北条氏一門):養育係で重臣。引付衆・評定衆を経て時宗を補佐。
  • 安達泰盛(有力御家人):義父で重臣。御家人を代表して時宗を補佐。
  • 平頼綱(得宗家執事):側近。御内人の筆頭として権勢を増し、泰盛派と対立。
  • 北条貞時(第9代執権):嫡男。時宗の早世により13歳で執権就任。
  • フビライ(モンゴル帝国皇帝):南宋を征服し、日本へ遠征軍を派遣するが敗退。
  • 日蓮(日蓮宗宗祖):蒙古襲来に備えた挙国一致体制により佐渡へ配流された。
  • 無学祖元(臨済宗の僧):宋より招かれ来日。時宗が深く帰依した。

参考資料

  • 菊池容斎:「前賢故実」より

(2012/07/16 改作)

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