細川政元の似顔絵

細川政元のイラスト

細川政元

ほそかわまさもと(1466-1507)
室町時代後期~戦国時代前期の武将・守護大名
室町幕府管領、丹波・摂津・土佐守護

細川勝元の嫡男。応仁の乱の最中に没した父の家督を継ぎ、摂津など4ヶ国の守護となる。1493年、遠征中の将軍足利義材を廃し、新たに足利義澄を擁立するクーデターを決行(明応の政変)。さらに政敵の畠山政長を討ち、管領として幕政の実権を掌握した。その一方で修験道に没頭して妻帯せず、三人の養子による家督争いを引き起こした結果、家臣によって謀殺された。細川家は長期の内紛状態に陥り、畿内情勢は混迷を極める事となる(永正の錯乱)。

参議中将も何も全く意味はありません。この私の中では義澄様が将軍であります。だいたい官位などは無益であって、いかに昇進しようとも、人々が御下知に従わねば甲斐もありません。今のままで十分でしょう。

「大乗院寺社雑事記」
文亀2年(1502)6月16日条
中将任官を望む将軍足利義澄への諫言

関連人物

  • 細川勝元(管領):父。応仁の乱で東軍を率いるが、勝敗を決せぬまま病没。
  • 足利義政(第8代将軍):主。偏諱「政」を与えた。
  • 足利義尚(第9代将軍):主。近江六角征伐中の陣中で病没した。
  • 足利義材(第10代将軍):河内親征中に政元らのクーデターで将軍職を廃された。
  • 足利義澄(第11代将軍):僧籍にあったが政元らの手引きで擁立された。
  • 日野富子(大御台所):政元と提携して明応の政変を後援。
  • 畠山政長(管領):政敵。明応の政変で自害へ追い込まれた。
  • 細川澄之(細川家後嗣):関白九条家出身の養子。後に廃嫡された。
  • 細川澄元(細川家後嗣):二番目の養子。のち義澄の下で実権を掌握。
  • 細川高国(細川家後嗣):三番目の養子。義材改め義稙の下で実権を掌握。
  • 赤沢朝経(細川家重臣):政元の命で比叡山や畿内各国へ進撃して版図を拡大。
  • 香西元長(細川家重臣):澄之派。澄元の後嗣決定に反発して政元を暗殺。

参考資料

  • 細川政元像(龍安寺蔵)

(2017/03/14 改作)

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