顕如の似顔絵

顕如,本願寺光佐のイラスト

顕如 / 本願寺光佐

けんにょ / ほんがんじこうさ(1543-1592)
戦国時代〜安土桃山時代の浄土真宗の僧
本願寺第11世

証如の長男。石山本願寺で得度し、17歳で門跡に補されて教団を運営。上洛した織田信長と敵対すると、諸国の門徒を従えて信長包囲網に加わり、10年に及ぶ抗争を繰り広げた(石山合戦)。しかし武田信玄の急死を機に包囲網は破綻。1580年、正親町天皇の勅命により和議を結び、紀伊鷺森へ退去。信長の死後は豊臣秀吉と和解し、京都堀川の地を寄進され教団を再興した。没後、遺された兄弟を中心に教団の内紛が表面化し、東西に分立して今に至る。

去年より信長には表裏の振舞いがあったが、覚悟していたので今さら驚くことはない。しかし油断すれば当寺(石山本願寺)を抱えるのは難しく、我が流派の破滅は今ここに極まっている。委細は使いの者に申し含めているが、志ある衆は一味同心に申し合わせ、きっと馳走してくれれば、仏法は興隆するであろう。

蓮乗寺文書
天正4年(1576)4月18日
紀州坊主衆・門徒宛ての書状

関連人物

  • 証如(本願寺第10世):父。本拠を山科から石山へ移転。
  • 足利義昭(第15代将軍):反信長勢力を糾合し、包囲網を構築。
  • 細川晴元(管領):顕如の妻如春尼の養父。
  • 織田信長(尾張の大名):宿敵。畿内で影響力を強め、本願寺勢力と抗争。
  • 武田信玄(甲斐の大名):相婿(正室が姉妹)。反信長の軍事的最勢力。
  • 下間頼廉(本願寺坊官):顕如の下で本願寺勢力を率いて奮戦。
  • 正親町天皇(第106代天皇):信長と本願寺との和議を仲介した。
  • 豊臣秀吉(関白):石山本願寺の跡地に大坂城を築いた。
  • 教如(本願寺第12世):長男。徳川家康の寄進を受け、東本願寺を分立。
  • 准如(本願寺第12世):三男。教如の分立により、西本願寺と呼ばれた。

参考資料

  • 顕如上人画像(光輪寺蔵)

(2017/02/12 改作)