小西行長
こにしゆきなが(1558?-1600)
戦国時代〜安土桃山時代の武将・キリシタン大名
小西隆佐の次男。当初は宇喜多直家に仕えていたが、中国征伐中の羽柴秀吉の目に留まって家臣となる。水軍を率いて歴戦を重ね、九州平定後に肥後半国20万石を領して宇土城主となった。また早くから受洗したキリシタンであり、イエズス会の活動を保護。文禄の役では先鋒を務める一方で講和を進めるも失敗し、慶長の役にも出陣する。関ヶ原の戦いでは西軍に属して奮戦、敗走の末に捕らえられ、石田三成・安国寺恵瓊と共に六条河原で斬首された。
関連人物
- 小西隆佐(商人):父。畿内で最初期のキリシタンで、秀吉の家臣。
- 宇喜多直家(備前の大名):旧主。
- 豊臣秀吉(天下人):新主。
- 宗義智(対馬の大名):娘婿。行長らと共に明側との講和交渉に奔走。
- 沈惟敬(明の使節):行長と講和を画策するが、偽装工作によって再戦を招いた。
- 加藤清正(肥後の大名):領地経営や朝鮮出兵などでことごとく対立した。
- 石田三成(豊臣家家臣):盟友。関ヶ原の戦いにおける西軍の事実上の総大将。
- 安国寺恵瓊(毛利家家臣):行長・三成と共に六条河原で処刑された。
- 高山右近(キリシタン大名):バテレン追放令後に行長の庇護を受けた。
- 内藤如安(小西家家臣):旧臣。徳川幕府の禁教令により呂宋へ渡った。
参考資料
- 小西行長像(熊本県宇土城址)