九条兼実 / 藤原兼実
くじょうかねざね / ふじわらのかねざね(1149-1207)
平安末期~鎌倉初期の公卿・歌人
九条家の祖
藤原忠通の三男。18歳で右大臣に昇り、平家滅亡後に源頼朝の支持を得て摂政・太政大臣・関白を歴任。摂関政治の復興を図って娘を後鳥羽天皇に入内させ、後白河法皇が崩ずると頼朝の征夷大将軍宣下を取り計らうなど朝政を主導する。しかし故実先例に厳格な政治姿勢で次第に孤立し、1196年、丹後局や土御門通親ら反対派による政変で失脚。浄土宗の法然に帰依して出家し、余生を送った。日記「玉葉」を残したほか、歌人として九条家歌壇を興した。
関連人物
- 藤原忠通(公卿):父。
- 慈円(天台座主):実弟。史論書「愚管抄」の著者。
- 後白河法皇(第77代天皇):治天の君。政治的に確執。
- 後鳥羽天皇(第82代天皇):兼実の娘を中宮とした。
- 源頼朝(源氏の棟梁):兼実の摂政就任を支持するなど相互に協調。
- 土御門通親(公卿):政敵。兼実を策謀で失脚させて朝廷内に君臨。
- 徳大寺実定(公卿):側近。兼実の下で朝幕関係の安定化に努めた。
- 藤原俊成(歌人):兼実に迎えられ、九条家歌壇を指導。
- 藤原定家(歌人):家司として仕え、九条家歌壇で活躍。
- 法然(浄土宗開祖):戒師。兼実の庇護を受けた。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より
- 「天子摂関御影」より(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
参考リンク
- 九条兼実の歌(やまとうた)
(2012/07/03 改作)