九条頼経の似顔絵

九条頼経,藤原頼経のイラスト

藤原頼経 / 九条頼経

ふじわらのよりつね / くじょうよりつね
(1218-1256)
鎌倉幕府第4代将軍

九条道家の三男。3代将軍源実朝の暗殺を受け、2歳で京より迎えられる。承久の乱後の1226年に将軍となるが(摂家将軍)、実権は執権北条氏に握られていた。長じて反執権勢力を得て権力を強め、執権経時との関係が悪化、27歳で将軍職を嫡男頼嗣に譲らされる。出家後もなお鎌倉に留まり大殿として勢力を維持、名越光時らに担がれ得宗家打倒の動きを見せたため京へ送還された(宮騒動)。ほどなく頼嗣も追放され、不遇のうちに病没した。

関連人物

  • 九条道家(公卿):父。摂政・関白を歴任し、朝幕間で重きをなした。
  • 西園寺公経(公卿):外祖父。関東申次として権勢を振るった。
  • 二条良実(公卿):兄。二条家の祖。
  • 一条実経(公卿):弟。一条家の祖。
  • 藤原頼嗣(第5代将軍):嫡男。頼経の将軍更迭に伴い就任。
  • 北条政子(尼将軍):幼い頼経を後見して将軍職を代行。
  • 北条義時(第2代執権):頼経を鎌倉殿として迎え入れた。
  • 北条泰時(第3代執権):頼経を新将軍に立てて執権政治を運営。
  • 北条経時(第4代執権):偏諱「経」を受けたが、後に頼経の将軍職を解任。
  • 北条時頼(第5代執権):偏諱「頼」を受けたが、後に大殿頼経を京へ送還。
  • 名越光時(北条氏一門):将軍派。得宗家打倒を図るが失敗(宮騒動)。
  • 三浦光村(有力御家人):将軍派。頼経の鎌倉復帰を図るが失敗。

参考資料

  • 藤原頼経像「集古十種」より

(2017/03/15 改作)

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