熊谷直実
くまがいなおざね(1141-1207)
平安末期~鎌倉初期の武将・僧
熊谷直貞の次男。早くに父を失って伯父久下直光に養育され、のち京都大番役に赴いた際に平知盛に仕える。1180年の石橋山の戦いでは大庭景親に従って源頼朝を攻めたが、東国の情勢を察して頼朝方に転じ、佐竹秀義追討の功を立てて熊谷郷を安堵された。その後も平家追討に活躍し、特に一ノ谷の戦いで平敦盛を討った逸話が広く知られる。平家滅亡後、直光との所領争いに敗れて憤慨し鎌倉を出奔、浄土宗の法然に入門して「蓮生」と号し、念仏の日々を送った。
関連人物
- 熊谷直貞(武蔵の武士):父。熊谷郷の領主。
- 久下直光(武蔵の武士):伯父。久下郷の領主。直実の自立を機に確執を深めた。
- 平知盛(平氏の武将):旧主。直実が直光からの自立を目指して仕えた。
- 大庭景親(平氏方の武将):石橋山の戦いで直実が属した。
- 源頼朝(源氏の棟梁):新主。石橋山の戦いを経て直実が臣従した。
- 佐竹秀義(平氏方の武将):金砂城の戦いで頼朝軍に敗れて逃亡。
- 源義経(源氏の総大将):一ノ谷の戦いで鵯越の逆落としを敢行。
- 平敦盛(平氏の武将):一ノ谷の戦いで直実との一騎打ちに応じて散華。
- 法然(浄土宗開祖):師。
- 熊谷直家(源氏方の武将):嫡男。直実の出家により家督を相続。
参考資料
- 「一の谷合戦図屏風」(永青文庫蔵)