久坂玄瑞
くさかげんずい(1840-1864)
幕末の長州藩士
長州藩出身。九州へ遊学後、吉田松陰の松下村塾に入門、高杉晋作と共に双璧と称され、師松陰の妹を妻とした。のち安政の大獄を引き起こした幕府を批判し、他藩の志士と交流する。藩に出された長井雅楽の公武合体政策を激しく弾劾し、英国公使館焼討ちや下関外国艦隊砲撃への参加など過激な尊攘運動を展開。八月十八日の政変後、藩内の武力上洛論には慎重論を唱えるが、来島又兵衛らの強硬論に屈して出撃、激戦の末に自刃した(禁門の変)。
関連人物
- 毛利敬親(第13代長州藩主):主君。
- 吉田松陰(松下村塾主宰):師で義兄。
- 高杉晋作(長州藩士):同門。
- 桂小五郎(長州藩士):同志。
- 伊藤俊輔(長州藩士):同志。英国公使館焼討ちに参加。
- 井上聞多(長州藩士):同志。英国公使館焼討ちに参加。
- 長井雅楽(長州藩士):「航海遠略策」を打ち出し、尊攘派に狙われた。
- 来島又兵衛(長州藩士):禁門の変に際して強硬論を主張、激戦の末に自害。
- 一橋慶喜(禁裏御守衛総督):禁門の変で御所守備軍を総指揮し、長州勢を制圧。
- 西郷隆盛(薩摩藩士):禁門の変で薩摩勢を指揮し、長州勢を撃退。
参考資料
- 久坂玄瑞像(山口県立山口博物館蔵)