源為義
みなもとのためよし
(1096-1156)
平安時代末期の武将
源義親の四男。父の破滅と一族の内紛を経て河内源氏の嫡流を継ぐ。白河・鳥羽院政下で検非違使となり、南都北嶺による強訴の防御や悪僧の追補に活躍するが、自身や郎党の狼藉が重なり官位は停滞。やがて摂関家に接近して藤原忠実・頼長父子の従者となった。しかし八男為朝の濫行により解官、籠居の身となる。翌年の保元の乱で崇徳上皇方の主力として奮戦するが敗北、出家しても許されず、後白河天皇方に与した長男義朝によって処刑された。
為義の作法、児戯の如し。誠にもって不便なり。
源師時「長秋記」
大治5年(1130)5月14日条
関連人物
- 白河法皇(第72代天皇):旧主。初期の為義が仕えていた。
- 鳥羽上皇(第74代天皇):旧主。為義を「西国に派遣すれば国が滅ぶ」と見放した。
- 崇徳上皇(第75代天皇):保元の乱にて為義・為朝らが味方した。
- 藤原忠実(公卿):主人。鳥羽院の信任を失った為義が勢力挽回のため接近。
- 藤原頼長(公卿):主人。為義が仕えた。
- 源義家(源氏の大将):祖父で養父。
- 源義親(源氏の武将):父。西国で濫行を重ねたあげく、平正盛に追討された。
- 源義朝(源氏の大将):長男。父とは独立して東国で地盤を築いた。源頼朝の父。
- 源義賢(源氏の武将):次男。源義仲の父。
- 源為朝(源氏の武将):八男。保元の乱で父に従うが敗北し、伊豆大島へ流刑。
- 源行家(源氏の武将):十男。後に以仁王の平家追討の令旨を源氏一族に伝えた。
- 平忠盛(平氏の棟梁):同い年。低迷する為義と対照的に、院の信任を得て躍進。
参考資料
- 源為義像(白峯神宮蔵)
(2012/07/23 改作)