源義仲 / 木曽義仲
みなもとのよしなか / きそよしなか(1154-1184)
平安末期の武将
源義賢の次男。父の戦死により、乳母夫である中原兼遠に預けられ信濃の木曽谷で成長する。1180年に以仁王の令旨を受けて挙兵し、倶利伽羅峠の戦いで平維盛軍を撃破して入京。しかし京の治安回復の失敗や兵糧米の徴収問題、皇位継承への介入などで後白河法皇と確執を深め、院御所の法住寺殿を襲撃して法皇を幽閉する。自らを征東大将軍に任命させ、鎌倉の源頼朝が派遣した源範頼・義経軍を迎え撃つが惨敗、敗走中の近江粟津であえなく討たれた。
関連人物
- 源義賢(源氏の武将):父。源為義の次男で、義朝の異母弟。
- 後白河法皇(第77代天皇):上洛後の義仲と対立し、院御所に幽閉された。
- 以仁王(後白河の皇子):平氏追討の令旨を発布。
- 平維盛(平氏の武将):倶利伽羅峠の戦いで大敗し、義仲軍の上洛を許した。
- 源頼朝(源氏の棟梁):従兄。範頼・義経に義仲追討を命令。
- 源範頼(源氏の大将):従兄弟。宇治川・粟津にて義仲を追討。
- 源義経(源氏の大将):従兄弟。宇治川・粟津にて義仲を追討。
- 樋口兼光(義仲方の武将):乳母子で家臣。
- 今井兼平(義仲方の武将):乳母子で家臣。
- 巴御前(義仲方の武将):乳母子で妾とされる。
参考資料
- 木曾義仲像(徳音寺蔵)
(2011/08/07 改作)