源義朝
みなもとのよしとも
(1123-1160)
平安時代末期の武将
源為義の長男。早くから東国へ下り、上総氏や三浦氏といった坂東の武士団と連携し、父とは独立した地盤を築く。帰京後は鳥羽上皇に信任され、従五位下下野守となる。保元の乱では平清盛と共に後白河天皇方の中核として活躍、戦後に父や弟らを処刑した。やがて後白河院政下で朝政を主導する信西を排除すべく、院近臣の藤原信頼と結んでクーデターを決行。しかし清盛率いる平家の官軍に敗れ、東国へ落ちる途上で家人に謀殺された(平治の乱)。
義朝はこれまで幾度なく私戦をしてきた。その度に朝廷からいかなるお咎めを受けるかと内心恐れていた。それが今、追討の宣旨を受け、これより敵と相見える。この心の何と清々しいことか。
慈円「愚管抄」
保元の乱・出陣時の発言
関連人物
- 三浦義明(相模の武将):舅。義朝の坂東南部における覇権を支えた。
- 鳥羽法皇(第74代天皇):主君。東国から帰京した義朝が接近。
- 後白河天皇(第77代天皇):主君。保元の乱で義朝が与した。
- 信西(鳥羽院近臣):保元の乱後に為義一族の処刑を厳命した。
- 藤原信頼(後白河院近臣):反信西派。武蔵の知行国主であり、義朝と近かった。
- 平清盛(平氏の棟梁):保元の乱に勝利後、最大の軍事貴族として台頭。
- 源義康(源氏の武将):盟友。保元の乱に勝利後ほどなく早世。足利氏の祖。
- 源為義(源氏の武将):父。早くから離別し、保元の乱でも敵対。
- 源為朝(源氏の武将):異母弟。九州で勢力を築き、保元の乱で一戦交えた。
- 源義平(源氏の武将):長男。平治の乱で敗戦後、清盛暗殺に失敗して処刑された。
- 源頼朝(源氏の棟梁):三男。平治の乱の敗戦後に捕らえられ、伊豆へ流された。
- 源義経(源氏の大将):九男。義朝の敗死により、鞍馬寺へ預けられた。
参考資料
- 「平治物語絵巻」より