水野忠邦の似顔絵

水野忠邦のイラスト

水野忠邦

みずのただくに(1794-1851)
江戸後期の譜代大名・老中
水野氏浜松藩初代藩主

水野忠光の次男。幕府重職を求め、唐津藩から大名昇進に有利な浜松藩への転封を実現。大坂城代、京都所司代を経て、1834年に本丸老中となる。12代将軍家慶の信任を受けて老中首座となり、大御所家斉の死を機に家斉派旧臣を一掃。厳しい奢侈統制と質素倹約を押し出した「天保の改革」を断行するが、あらゆる階層の反発を受けて2年余りで失脚。翌年復職するもほどなく再辞職。在任中の賄賂問題を咎められ減封・謹慎となり、失意のうちに没した。

関連人物

  • 水野忠光(第3代唐津藩主):父。
  • 跡部良弼(大坂町奉行):実弟。飢饉救済策を講じず、大塩平八郎の乱を招いた。
  • 徳川家斉(第11代将軍):大御所。奢侈な生活と賄賂の横行で幕政を腐敗させた。
  • 徳川家慶(第12代将軍):主君。忠邦を信任し、天保の改革を断行させた。
  • 土井利位(老中):同僚。改革の法令「上知令」に反発し、忠邦と対立。
  • 間部詮勝(老中):同僚。忠邦に疎まれて辞職。後に井伊直弼の下で復職。
  • 堀田正篤(老中):同僚。忠邦を補佐して改革に参与。後の堀田正睦。
  • 阿部正弘(老中):後任。忠邦の老中再任に強く反対した。
  • 鳥居耀蔵(幕臣):腹心。改革推進派。後に土井派に寝返った。
  • 遠山景元(幕臣):腹心。忠邦や鳥居の改革方針に抵抗し、規制緩和を図った。

参考資料

  • 水野忠邦像(首都大学東京図書情報センター蔵)

(2012/0707 改作)