那須与一
なすのよいち(生没年不詳)
平安末期〜鎌倉前期の武将
那須資隆の十一男。初名は宗隆。治承・寿永の乱で源頼朝方に加わり、源義経に従軍。「平家物語」によると、1185年の屋島の戦いで、平家方の小舟に立てられた扇の的を馬上から射落とし、敵味方双方から賞賛されたという。この功で頼朝から丹波・信濃など5カ国の荘園を賜り、那須氏の家督を継いだ。「扇の的」の逸話は後世に謡曲や浄瑠璃などに脚色されたが、「吾妻鏡」や同時代の史料にはその名が見られず、詳細な事績・経歴は不明。
扇をば 海のみくづと なすの殿 弓の上手は 与一とぞきく
「源平盛衰記」