大内義興
おおうちよしおき
(1477-1529)
戦国時代の武将・大名
室町幕府周防・長門・石見・筑前・安芸・豊前・山城守護、管領代
大内政弘の嫡男。父の隠居により家督を継ぎ、北九州へ勢力を拡げ、周防など6ヶ国の守護となる。明応の政変で京を追われた前将軍足利義尹(義稙)を山口に庇護し、1508年に軍勢を率いて上洛。義稙を将軍職に復し、自らは管領代・山城守護として畿内を転戦する。また日明貿易の権限を巡って管領細川家との確執を深めた。のち出雲尼子氏が領国内に侵攻したため管領代を辞して帰国、安芸や石見で攻防を繰り返すが決せずに病没した。
関連人物
- 大内政弘(周防守護):父。西日本最大の守護大名。
- 大内義隆(周防の大名):嫡男。尼子氏との戦いを経て文治へ傾き衰退。
- 足利義稙(第10代将軍):政変で将軍職を廃されたが、義興の支援で復職。
- 足利義澄(第11代将軍):義稙・義興らの上洛により将軍職を追われた。
- 細川高国(管領):義興と結んで義稙を擁立し、幕政を執った。
- 細川澄元(阿波守護):義澄と共に実権を奪われ、再起を図るが挫折。
- 大友親治(豊後の大名):将軍義澄・管領細川政元と結んで大内方と抗争。
- 少弐政資(肥前の武将):旧領奪回を目指して抗争を繰り返すが敗死。
- 尼子経久(出雲の大名):義興の在京中に中国地方へ進出し抗争を繰り返した。
- 陶興房(周防守護代):重臣。偏諱「興」を受けた。陶隆房の父。
- 内藤興盛(長門守護代):重臣。偏諱「興」を受けた。毛利隆元の舅。
- 毛利興元(安芸国人領主):義興の被官として上洛に随行。毛利元就の兄。
参考資料
- 大内義興公馬上展望像(龍福寺蔵)