佐々木高氏 / 佐々木導誉
ささきたかうじ / ささきどうよ
(1296-1373)
鎌倉時代末期~南北朝時代の武将・守護大名
室町幕府政所執事、若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護
近江京極氏の出身。鎌倉幕府で執権北条高時に仕え、高時と共に出家して導誉と号す。鎌倉幕府滅亡後に建武政権へ出仕するが、中先代の乱を機に足利尊氏に従って政権から離脱。足利幕府で政所執事や近江など6ヶ国の守護を務め、尊氏没後も2代将軍義詮の相談役として権勢を維持した。華美な振舞いで既存の権威を嘲弄するバサラ大名の典型で、天台門跡の妙法院を焼き討ちした逸話があり、連歌・立花・茶・猿楽などを愛好した文人でもあった。
昨夜、妙法院宮(光厳上皇の弟・亮性法親王)の御所が焼き討ちにされたそうだ。佐々木判官入道導誉とその息子秀綱が郎党を連れて放火し、散々に略奪・狼藉を働いたという。かの秀綱は夕方、法師らと喧嘩をしていたそうで、その報復だろう。御所累代の宝物は奪い取られ、灰燼に帰してしまった。言語道断の悪行、天魔の所業か。
中院通冬「中院一品記」
暦応3年(1340年)10月7日条
関連人物
- 北条高時(鎌倉幕府第14代執権):旧主。偏諱「高」を与えた。
- 後醍醐天皇(第96代天皇):隠岐配流の際に導誉が護送した。
- 足利尊氏(足利幕府初代将軍):主。倒幕に際し導誉と連携があったとされる。
- 足利義詮(第2代将軍):主。導誉を篤く信任して幕政を運営。
- 高師直(足利幕府執事):共にバサラ大名の典型として知られる。
- 細川清氏(執事):導誉の推薦で執事となり、導誉の謀略で失脚した。
- 斯波高経(越前守護):子義将を管領として権勢を築くが、導誉の謀略で失脚。
- 細川頼之(管領):導誉の推薦で管領に就任。
- 赤松則祐(播磨守護):婿。
- 楠木正儀(南朝方の武将):南北両朝の講和交渉に当たるが不調に終わった。
参考資料
- 佐々木導誉像(勝楽寺蔵)