柴田勝家
しばたかついえ(1522?-1583)
戦国~安土桃山時代の武将・大名
尾張国出身。初め織田信長の弟信行に仕え、家督争いを制した信長に降る。以後、信長の重臣として戦功を重ね、越前平定後に北ノ庄城を与えられて北陸方面を総轄。1582年の本能寺の変では、越後の上杉景勝と対峙中だったため上洛出来なかった。のち信長の後継を決める清洲会議で信長の三男信孝を推し、主導権を握る羽柴秀吉と対立。翌年、信孝や滝川一益らと結んで挙兵するが、近江賤ヶ岳での決戦に大敗。北ノ庄城で妻お市と共に自害した。
しばたかついえ(1522?-1583)
戦国~安土桃山時代の武将・大名
尾張国出身。初め織田信長の弟信行に仕え、家督争いを制した信長に降る。以後、信長の重臣として戦功を重ね、越前平定後に北ノ庄城を与えられて北陸方面を総轄。1582年の本能寺の変では、越後の上杉景勝と対峙中だったため上洛出来なかった。のち信長の後継を決める清洲会議で信長の三男信孝を推し、主導権を握る羽柴秀吉と対立。翌年、信孝や滝川一益らと結んで挙兵するが、近江賤ヶ岳での決戦に大敗。北ノ庄城で妻お市と共に自害した。