平忠盛
たいらのただもり(1096-1153)
平安末期の武将・歌人
平正盛の長男。白河・鳥羽院政下で北面武士として仕え、山陽道・南海道の海賊鎮圧などで活躍。西国各地の国守を歴任して当地の武士と主従を結び、日宋貿易に関わる事で豊富な財力を蓄えた。さらに鳥羽法皇のために得長寿院を造営した功で内裏への昇殿を許され、その権勢は後の平氏政権への基礎となった。
関連人物
- 白河法皇(第72代天皇):忠盛を厚く信任。
- 鳥羽法皇(第74代天皇):忠盛を厚く信任。
- 藤原頼長(公卿):忠盛の死を悼み、武威と慎み深い人柄を讃えた。
- 平忠正(平氏の武将):弟。忠盛とは違い、崇徳上皇・頼長に仕えていた。
- 平清盛(平氏の棟梁):嫡男。白河院の御落胤という説もある。
- 平経盛(平氏の武将):三男。
- 平教盛(平氏の武将):四男。
- 平忠度(平氏の武将):六男。
- 源為義(源氏の棟梁):同い年。当初は忠盛と同じく、院に仕えていた。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より
参考リンク
- 平忠盛の歌(やまとうた)
(2011/10/10 改作)