由井正雪 / 由比正雪
ゆいしょうせつ(1605-1651)
江戸前期の浪人・軍学者
駿河国出身。17歳で江戸へ出て、浅草の菓子屋へ奉公する。のち楠木流軍学を謳う楠木不伝に師事し、養子となって家伝の軍学を継承。神田連雀町で軍学塾「張孔堂」を開き、旗本や大名家臣、浪人など多くの門人を指南したという。1651年、3代将軍徳川家光が没すると、幕政批判と浪人救済を掲げて幕府転覆を計画。同志と駿府へ入り、久能山にあるという徳川家康の遺金を狙うが、決起寸前に発覚。滞在先の旅籠で町奉行に包囲され、自刃した(慶安事件)。
被疑者・由井正雪
年齢40歳過ぎ、総髪、ただし剃髪している可能性もあり。
小柄、色白、額は狭く、黒髪、唇は厚く、眼はクリクリとしている。
以上。「内藤家文書」
事件発覚後に出回った人相書(意訳)
関連人物
- 徳川家光(第3代将軍):武断政治の結果、浪人の増大が社会問題となった。
- 徳川家綱(第4代将軍):事件当時はまだ11歳だった。
- 徳川頼宣(初代紀州藩主):事件への関与を疑われたが、後に晴らした。
- 松平信綱(老中):幼い家綱を補佐して事件の処理に当たった。
- 阿部忠秋(老中):事件を受け、浪人救済の就業促進策を主導した。
- 中根正盛(旗本):大目付として事件を鎮圧。
- 楠木不伝(軍学者):師で養父。自称「楠木正成の末裔」。
- 丸橋忠弥(浪人):同志。江戸で決起を図るが、捕縛されて磔刑となった。
- 金井半兵衛(浪人):同志。大坂で決起を図るが、計画失敗を知って自害。
(2011/06/03 改作)