平賀源内の似顔絵

平賀源内のイラスト

平賀源内

ひらがげんない(1728-1779)
江戸中期の本草学者・戯作者

讃岐国出身。25歳で長崎へ遊学し、のち江戸へ出て本草学者の田村藍水に師事。藍水と共に湯島で開いた物産会が好評を博し、1763年に博物学書「物類品隲」を出版。やがて老中田沼意次に見出され、幕府や諸藩の殖産政策に携わる。一方、談義本や浄瑠璃の執筆、鉱山開発や毛織物製造、蘭画の研究など幅広く活動。1776年には長崎で入手した摩擦起電器「エレキテル」の修復を行う。しかし神田で殺傷事件を起こしてしまい、失意の中で獄死した。

浪人の心易さは、一箪のぶっかけ(汁かけ飯)、一瓢の小半酒、恒の産なき代りには、主人という贅(むだ)もなく、知行という飯粒が足の裏にひっ付かず、行きたき所を駆けめぐり、いやな所は茶にしてしまう。せめては一生わが体を、自由にするがもうけなり。

「放屁論後編」

関連人物

  • 松平頼恭(第5代高松藩主):旧主。藩内で薬草の栽培を命じた。
  • 田村藍水(本草学者):師。朝鮮人参の国内栽培を確立。
  • 中川淳庵(蘭方医):藍水の同門で友人。
  • 杉田玄白(蘭方医):友人。源内の墓碑銘を記した。
  • 鈴木春信(浮世絵師):友人。
  • 田沼意次(老中):庇護者。蘭学を奨励した。
  • 佐竹曙山(第8代久保田藩主):源内を招いて産業拡大を図った。
  • 小田野直武(洋風画家):洋風画の弟子。曙山と画法を研究し、秋田蘭画を大成。
  • 司馬江漢(洋風画家):源内の影響を受けた。
  • 大田南畝(狂歌師):狂詩集に源内が序文を寄せた。

参考資料

  • 平賀源内像(早稲田大学図書館蔵)
  • 木村黙老:「平賀鳩渓肖像」(慶應義塾図書館蔵)
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