黒田孝高 / 黒田如水
くろだよしたか / くろだじょすい(1546-1604)
安土桃山時代の武将・キリシタン大名
黒田氏第4代当主
播磨国出身。西播磨の小寺氏に仕え、姫路城を預かる。のち織田信長に通じ、播磨入りした羽柴秀吉を迎えて参謀となった。備中高松城の戦いでは水攻めの策で功を上げたほか、以後も秀吉の覇業に貢献して豊前中津12万石を与えられる。家督を子長政に譲った後も秀吉の軍師として活躍。関ヶ原の戦いでは徳川方に属して豊後の大友義統らを降し、さらに島津氏を討つため肥後水俣まで進むが和議によって停戦。戦後は筑前福岡に移り、京都伏見で没した。
関連人物
- 小寺政職(西播磨の大名):旧主。
- 織田信長(尾張の大名):主。
- 豊臣秀吉(天下人):主。調略や交渉役として孝高を重用した。
- 竹中重治(織田家家臣):共に秀吉の軍師として並び称されている。
- 荒木村重(織田家家臣):信長への謀反を翻意させようとした孝高を監禁した。
- 清水宗治(毛利家家臣):備中高松城主。孝高の水攻めの策に敗れた。
- 大友義統(豊後の大名):石垣原の戦いで孝高軍に敗れた。
- 加藤清正(肥後の大名):関ヶ原の戦いで共に九州の徳川方として参戦。
- 黒田長政(筑前の大名):長男。関ヶ原で大功を立て、筑前52万石を拝領した。
- 母里太兵衛(黒田家家臣):槍術に秀でた勇将として知られる。
参考資料
- 如水居士像(崇福寺蔵)