毛利輝元の似顔絵

毛利輝元のイラスト

毛利輝元

もうりてるもと(1553-1625)
安土桃山時代~江戸初期の武将・大名
長州藩藩祖

毛利隆元の嫡男。父の死後に家督を継ぎ、祖父元就や叔父らの補佐を受けて中国地方に君臨。京を追われた将軍足利義昭を備後鞆に迎え、織田信長との対決姿勢を示す。以後、信長の命を受けた羽柴秀吉の攻勢を受けるが、本能寺の変を機に備中高松城で秀吉と和睦。豊臣政権下で112万石の所領を安堵され、五大老に列した。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として大坂城に入るも敗北。周防・長門37万石の大減封となり、隠居後もなお自家の存続に腐心した。

関連人物

  • 毛利隆元(安芸の大名):父。毛利元就の長男。
  • 吉川元春(毛利家重臣):叔父。
  • 小早川隆景(毛利家重臣):叔父。
  • 織田信長(尾張の大名):将軍足利義昭の処遇を発端に対立。
  • 豊臣秀吉(天下人):毛利家に120万石の所領を安堵し、輝元を五大老に任じた。
  • 徳川家康(五大老):関ヶ原の戦いの東軍総大将。
  • 石田三成(五奉行):関ヶ原の戦いの西軍総大将として輝元を擁立。
  • 清水宗治(毛利家家臣):備中高松城の戦いで和睦の条件として自刃。
  • 安国寺恵瓊(毛利家重臣):秀吉との交渉役。敗戦後、三成と共に処刑された。
  • 吉川広家(毛利家重臣):敗戦後、本領安堵と家名存続に奔走した。

参考資料

  • 毛利輝元像(毛利博物館蔵)
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