大谷吉継
おおたによしつぐ(1559-1600)
安土桃山時代の武将・大名
出自は諸説あって不明。早くから豊臣秀吉に仕え、旧友の石田三成と共に兵站・検地などの奉行職を歴任。1589年に越前敦賀5万石を領した。秀吉の没後は徳川家康に協調して会津征伐に従うが、途上で三成から家康打倒の挙兵計画を知らされる。無謀であるとして再三の説得を試みるも熱意に負け、やむなく西軍へ与した。関ヶ原本戦では東軍の藤堂高虎・京極高知軍を相手に奮戦。しかし東軍に内応していた小早川秀秋ら諸将の猛攻を防ぎ切れず壊滅、自害した。