徳川綱吉
とくがわつなよし
(1646-1709)
上野館林藩初代藩主
江戸幕府第5代将軍
徳川家光の四男。父の死後に上野館林城主となり、1680年に兄家綱の死を受けて将軍に就任。堀田正俊を大老として諸藩の監査を行い、不良大名や代官を処分するなど徳を重んじた文治政治を推進する(天和の治)。のち正俊が刺殺されると、柳沢吉保ら側用人を重用。悪法と評される「生類憐れみの令」を発したほか、勘定奉行荻原重秀による貨幣改鋳で財政悪化を招いた。一方で元禄文化が華やいだ時期でもあり、その治世への評価は分かれている。
関連人物
- 徳川家光(第3代将軍):父。
- 桂昌院(家光の側室):母。生類憐れみの令の発布に影響を与えたとされる。
- 徳川家綱(第4代将軍):異母兄で義父。偏諱「綱」を与えた。
- 徳川家宣(第6代将軍):養子。綱吉の遺言を破って生類憐れみの令を撤廃。
- 徳川吉宗(第8代将軍):紀州藩主時代に偏諱「吉」を受けた。
- 徳川光圀(第2代水戸藩主):一門の長老として発言力を保った。
- 堀田正俊(大老):重臣。綱吉擁立の功労者。
- 柳沢吉保(側用人):寵臣。偏諱「吉」を受けた。
- 荻原重秀(勘定奉行):幕府の財政難を受けて貨幣改鋳を実施。
- 木下順庵(儒学者):幕府儒官として綱吉の侍講を務めた。
- 林鳳岡(儒学者):綱吉の信任を得て湯島聖堂を本拠に儒学を振興。
- 浅野長矩(第3代赤穂藩主):殿中刃傷事件で綱吉の怒りを買って即日切腹。
参考資料
- 徳川綱吉像(法隆寺蔵)
(2017/08/24 改作)