豊臣秀頼
とよとみひでより(1593-1615)
安土桃山時代〜江戸前期の大名
豊臣家当主
豊臣秀吉の次男。母は淀殿。従兄秀次の自刃、父の病死によって6歳で家督を相続し、前田利家らに養育される。関ヶ原の戦いで西軍が敗れると、徳川家康の戦後処理によって大坂65万石の一大名へ転落した。徳川秀忠の娘千姫を娶り、公家として右大臣に昇るなど相応に遇されていたが、1614年の方広寺鐘銘事件を端に大坂冬の陣が勃発。一旦は徳川方と和議を結んだものの、夏の陣で総攻撃を受けて大坂城は落城。母と共に自害し、豊臣家は滅亡した。
関連人物
- 豊臣秀吉(天下人):父。
- 淀殿(秀吉の側室):母。
- 豊臣秀次(関白):従兄。秀頼誕生後に謀反の疑いで粛清された。
- 前田利家(五大老):秀頼の後見役。
- 毛利輝元(五大老):関ヶ原の戦いで西軍総大将として、大坂城で秀頼を保護。
- 徳川家康(征夷大将軍):大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、戦乱の世を終結させた。
- 徳川秀忠(第2代将軍):義父。
- 大野治長(豊臣家家臣):側近。大坂城落城後、秀頼に殉じて自害。
- 毛利勝永(豊臣家家臣):大坂の陣で奮戦するが退却。秀頼を介錯して自害。
- 木村重成(豊臣家家臣):秀頼の小姓として仕え、大坂の陣で散華。
参考資料
- 豊臣秀頼像(東京藝術大学大学美術館蔵)