中島敦
なかじまあつし(1909-1942)
昭和初期の小説家
東京四谷出身。漢学に携わる祖父や父の影響を受けて育つ。東京帝国大学国文科を卒業後、教職を勤め、1941年に南洋庁の国語教科書編集書記としてパラオへ赴任。出発前に友人の深田久弥へ託した「山月記」と「文字禍」が「文学界」に掲載され、文壇で注目を集める。帰国後に刊行した「光と風と夢」が芥川賞候補となり将来を嘱望されるが、持病の喘息によって33歳の若さで急死。死後に「李陵」「弟子」などの遺稿が発表され、再評価された。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。
「山月記」
関連人物
- 中島撫山(漢学者):祖父。
- 深田久弥(小説家・登山家):友人。
- 泉鏡花(小説家):中島が「絢爛を極めた言葉の豪奢な織物」と賞賛した。
- 土方久功(彫刻家・民俗学者):パラオ滞在時に知遇を得る。
- スティーヴンソン(小説家):「光と風と夢」の題材。
- 孔子(儒家の祖):遺作「弟子」の題材。
- 子路(儒家):遺作「弟子」の題材。
(2011/10/04 改作)