田沼意次
たぬまおきつぐ(1719-1788)
江戸中期の幕府側用人・老中
遠江相良藩初代藩主
田沼意行の長男。9代将軍家重の下で出世し、本丸小姓、御側御用取次を経て1万石の大名に取り立てられる。10代家治にも重用され側用人へ進み、相良城主となった。1772年には老中となり、5万7000石を拝領。幕閣主脳として株仲間の奨励、蝦夷地の開発、貨幣改鋳などの積極的な重商主義政策で幕府財政を改善、田沼時代と称される。一方で賄賂の横行や農村の荒廃などへの批判が高まり、家治の急死と子意知の暗殺を機に失脚、不遇の晩年を過ごした。
関連人物
- 田沼意行(紀州藩士・幕臣):父。8代将軍吉宗の紀州時代からの側近。
- 徳川家重(第9代将軍):主君。意次を万石大名に取り立てた。
- 徳川家治(第10代将軍):主君。意次を信任して幕閣主脳に採用。
- 徳川家斉(第11代将軍):意次を罷免し、松平定信を老中首座に任命。
- 松平武元(老中首座):意次と協力して幕政を運営。
- 松平康福(老中首座):田沼派。
- 井伊直幸(大老):田沼派。
- 水野忠友(老中):田沼派。
- 松平定信(老中):田沼時代の重商主義政策を否定する「寛政の改革」を主導。
- 平賀源内(本草学者):田沼時代の蘭学奨励政策下で交流。
参考資料
- 田沼意次像(牧ノ原市相良史料館蔵)
(2011/10/07 改作)