上杉鷹山 / 上杉治憲
うえすぎようざん / うえすぎはるのり(1751-1822)
江戸中期の外様大名
出羽米沢藩第9代藩主
高鍋藩主秋月種美の二男。米沢藩主上杉重定の養子となり、17歳で藩主を継承。深刻な財政危機に際して、質素倹約の奨励、農村支配機構の整備、織物技術の導入、藩校興譲館の創設などの藩政改革を断行する。35歳で藩主を退く際、後継の治広に心得「伝国の辞」を与え、その後も一貫して改革を指南。米沢藩復興の道筋を示した名君として知られる。
関連人物
- 徳川家治(第10代将軍):偏諱「治」を与えた。
- 上杉重定(第8代米沢藩主):養父。
- 上杉治広(第10代米沢藩主):養嗣子。家督継承の際に「伝国の辞」を送られた。
- 細井平洲(儒学者):師。
- 竹俣当綱(上杉家家臣):執政。前期の改革(明和・安永年間)を主導。
- 莅戸善政(上杉家家臣):執政。後期の改革(寛政年間)を主導。
- 黒井忠寄(上杉家家臣):勘定頭。領地の測量を行い、用水路工事を立案。
参考資料
- 上杉鷹山像(上杉神社蔵)