アルマン・ジャン・デュ・プレシー・ド・リシュリュー
Armand Jean du Plessis de Richelieu(1585-1642)
フランスの聖職者・政治家
パリ出身。小貴族の家から聖職者の道を歩み、21歳で司教。1614年の全国三部会に聖職者代表として政界入りし、22年に枢機卿、24年に国王ルイ13世の宰相となった。以降、王権の強化に努めて反抗的な貴族や新教徒ユグノーを抑圧し、その拠点ラ・ロシェルを攻略。一方、三十年戦争に際しては新教勢力を支援し、同じカトリック勢力であるハプスブルク家に対抗する。文化面では国語の純化を図り、1635年にアカデミー・フランセーズを創設した。
関連人物
- アンリ4世(フランス王):前王。若きリシュリューを司教に任命した。
- マリー・ド・メディシス(アンリ4世の妃):政敵。リシュリュー排斥に失敗して亡命。
- ルイ13世(フランス王):主。リシュリューを重用し、絶対王政を確立。
- アンヌ・ドートリッシュ(ルイ13世の妃):実家ハプスブルク家との関係を巡って対立。
- バッキンガム公(イングランド王重臣):ラ・ロシェル救援に向かうが失敗。
- オクセンシェルナ(スウェーデン宰相):新教徒勢力。
- フェルディナント2世(神聖ローマ皇帝):オーストリア・ハプスブルク家。
- マザラン(枢機卿):腹心。のちルイ14世の宰相としてリシュリューを継承。
- コルネイユ(劇作家):リシュリューに見出された。