ガイウス・コンスタンティヌス / コンスタンティヌス1世
Gaius Flavius Valerius Constantinus / Constantinus I
(272?-337)
ローマ帝国(コンスタンティヌス朝)皇帝
モエシア属州(セルビア)出身。ディオクレティアヌス帝の下で軍務に就き、父の没後に四分治制に参画、内乱を制して単独皇帝として帝国を再統一した。統一維持のため、313年にミラノ勅令を発してキリスト教を公認。教義論争に際しては、325年のニカイア公会議でアリウス派を異端として裁定、後の三位一体説の確立に寄与する。330年にはビザンティウムに遷都し(コンスタンティノープル)、巨大な官僚体制を築いて専制君主制を強化した。
関連人物
- ディオクレティアヌス(東方正帝):主。専制君主制を創始して四分治制を導入。
- ガレリウス(東方正帝):上官。四分治制の指導者。
- コンスタンティウス1世(西方正帝):父。
- セウェルス(西方正帝):内乱で敗死。
- マクセンティウス(簒奪皇帝):内乱で敗死。
- リキニウス(東方正帝):内乱で敗死。
- アタナシウス(神学者):キリストと神の同質性を唱え、正統教義とされた。
- アリウス(神学者):キリストの神性を否定し、異端とされた。
- エウセビオス(教会史家):コンスタンティヌスの伝記を執筆。
- テオドシウス(ローマ皇帝):392年にアタナシウス派キリスト教を国教化。