大友皇子 / 弘文天皇
おおとものみこ / こうぶんてんのう
(648-672)
飛鳥時代の皇族
第39代天皇
天智天皇の第一皇子。671年、24歳の時に太政大臣に任ぜられ、父帝の政務を補佐。父帝の崩御後に近江朝廷を主宰するが、吉野に下っていた叔父の大海人皇子が地方豪族を味方に付けて挙兵(壬申の乱)。大和・近江・河内などで激戦を繰り広げ、一時優勢に立つも、瀬田橋での戦いに大敗して自決した。漢詩に秀でた博学の人で、「懐風藻」に詩歌が残る。明治時代になって天皇として認められたものの、実際に即位していたかは今なお不明。
侍宴
皇明光日月 天皇の御威光は日や月のごとく照りわたり
帝徳戴天地 天皇の徳は天や地が万物を包み込むように広大で
三才並泰昌 三才(天・地・人)はみな安定して盛んであり
萬國臣義表 天皇に対して全ての国が儀礼を表す。「懐風藻」第1番
父帝即位の宴席で詠んだ漢詩
関連人物
- 天智天皇(第38代天皇):父帝。大友を太政大臣に任じた。
- 大海人皇子(皇族):叔父。壬申の乱に勝って天武天皇となった。
- 十市皇女(皇族):従妹で正妃。壬申の乱は父と夫が争う事態になった。
- 葛野王(皇族):十市との第一王子。
- 高市皇子(皇族):従弟。大海人側の大将として勝利に貢献した。
- 鸕野讃良皇女(皇族):異母姉。後の持統天皇。
- 阿閉皇女(皇族):異母妹。後の元明天皇。
- 志貴皇子(皇族):異母弟。光仁天皇の父。
- 蘇我赤兄(廷臣):左大臣として補佐。壬申の乱に敗れて流罪となった。
- 中臣金(廷臣):右大臣として補佐。壬申の乱に敗れて斬刑となった。
- 物部麻呂(官人):壬申の乱で最後まで忠誠を尽くし、天武朝に起用された。
- 伴信友(江戸後期の国学者):自著「長等の山風」で大友皇子即位説を主張。
参考資料
- 大友皇子像(法伝寺蔵)
(2017/02/27 改作)