藤原道長
ふじわらのみちなが
(966-1027)
平安時代中期の公卿
一条・三条朝内覧左大臣、後一条朝摂政
藤原兼家の五男。兄道隆・道兼の相次ぐ早世と、姉詮子の後援により朝政に台頭する。さらに政敵の甥伊周が狼藉によって失脚すると、左大臣となり政権を掌握。以降、三人の娘を後宮に入れ、天皇の外戚として摂関政治の最盛期を現出、また太閤として嫡子頼通を後見した。末法思想が広まる中、1019年に出家し、晩年は法成寺の造営に心血を注いでいる。漢詩や和歌を好み、女流文学者を庇護したほか、第一級の史料として日記「御堂関白記」を残した。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば
この世は我が世と思う。今宵の満月のように欠けていることもない。
藤原実資「小右記」
寛仁2年(1018)10月16日条
三女威子の立后本宮儀の穏座にて
関連人物
- 藤原兼家(公卿):父。一条天皇の摂政。
- 藤原道隆(公卿):長兄。兼家死後に関白となるが早世。
- 藤原伊周(公卿):甥(道隆の子)。道長と権勢を争うが従者の狼藉で失脚。
- 藤原実資(公卿):道長に追従する周囲とは一線を画し、筋を通して交流。
- 藤原頼通(公卿):長男。大殿道長の後見を受けながら摂関政治を継承。
- 藤原彰子(一条天皇の中宮):長女。後一条・後朱雀天皇の生母。
- 一条天皇(第66代天皇):甥。長女彰子が入内し、敦成親王(後一条)を出産。
- 三条天皇(第67代天皇):甥。次女妍子が入内するが、男子はなかった。
- 後一条天皇(第68代天皇):外孫。三女威子が入内するが、男子はなかった。
- 紫式部(女官):長女彰子の女房。道長が愛読した「源氏物語」の作者。
- 源頼光(武将):側近。受領を歴任しながら道長に度々寄進した。摂津源氏の祖。
- 源頼信(武将):側近。兄頼光と同じく受領として道長に臣従。河内源氏の祖。
参考資料
- 「紫式部日記絵詞」第五段より(藤田美術館蔵)
参考リンク
- 藤原道長の歌(やまとうた)
(2017/02/21 改作)