林銑十郎
はやしせんじゅうろう(1876-1943)
明治時代~昭和前期の陸軍軍人・政治家
第33代内閣総理大臣
石川県出身。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業して日露戦争に従軍し、陸大校長や近衛師団長などを歴任。満洲事変勃発に際し、朝鮮軍司令官として勅裁を得ずに独断で満洲へ派兵、「越境将軍」と呼ばれた。のち陸軍大将となり、斎藤内閣、岡田内閣の陸相として統制派の意向に沿った軍政を推進。1937年に組閣すると祭政一致を声明、親軍的な施政で政党から攻撃され、予算成立後に衆議院解散・総選挙へ踏み切るが惨敗。わずか4ヶ月で退陣した。
大命を待つことなく越江を命じたるは恐懼に堪えざるも、友軍の再三再四にわたる援兵の要求に応ずることは国軍伝来義気の発揮にして、司令官個人の毀誉の如きは問う処にあらざるべく、また形勢かくの如きに至りては、もはや国家もこれを地方的解決に依るなどの緩慢なる態度を採るべき時機にあらず、必ずや今日の閣議において出兵断行を決するものと信じたればなり。
「満洲事件日誌」
1931年9月21日 独断派兵についての心境
関連人物
- 永田鉄山(陸軍統制派):軍務局長として林陸相の軍政に関与。
- 真崎甚三郎(陸軍皇道派):林陸相時代に教育総監を更迭された。
- 渡辺錠太郎(陸軍軍人):陸軍大学校の同期。二・二六事件で暗殺された。
- 広田弘毅(第32代首相):前任。軍部の揺さぶりによって10ヶ月で総辞職。
- 宇垣一成(陸軍軍人):広田の後継として大命が降るが、陸軍の抵抗で流産。
- 石原莞爾(陸軍満洲派):林を首相に担いで組閣の主導を図った。
- 結城豊太郎(蔵相):日本商工会議所会頭として軍部と財界の調整を図った。
- 杉山元(陸相):続く第1次近衛内閣でも留任。
- ヘレン・ケラー(社会福祉事業家):初来日の際に林首相を表敬訪問。
- 近衛文麿(第34代首相):後任。政局の混乱が続いた反動で国民に歓迎された。