近衛文麿の似顔絵

近衛文麿のイラスト

近衛文麿

このえふみまろ
(1891-1945)
大正時代~昭和時代前期の政治家
第34・38・39代内閣総理大臣

近衛篤麿の長男。京都帝国大学卒業後、貴族院議員として要職を歴任し、大衆的人気を背景に1937年に組閣。直後に勃発した日中戦争では不拡大方針で臨むも自ら和平交渉を断ち、国家総動員法を制定して戦時体制へ入る。40年の第2次内閣では新体制運動のもと大政翼賛会を結成、日独伊三国同盟を締結して南進政策を採った。日米交渉打開に向け再度組閣するが、東条英機陸相の主戦論に押し流されて総辞職。戦後、戦犯指定を潔しとせず服毒自殺した。

僕は支那事変以来、多くの政治上過誤を犯した。これに対して深く責任を感じているが、いわゆる戦争犯罪人として米国の法廷において裁判を受ける事は堪え難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、この事変解決を最大の使命とした。そして、この解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思う。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国においてさえそこに多少の知己が存することを確信する。戦争に伴う興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基づく流言飛語とこれら輿論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。この時はじめて神の法廷において正義の判決が下されよう。

昭和20年(1945)12月15日
次男通隆宛ての遺書

関連人物

  • 近衛篤麿(貴族院議長):父。対露強硬論を説くアジア主義者として活躍。
  • 昭和天皇(第124代天皇):三国同盟締結に際し、日米戦争の可能性を懸念。
  • 西園寺公望(元老):後見役。次第に陸軍や革新勢力に接近する近衛に失望。
  • 木戸幸一(内大臣):学習院時代からの友人。第1次近衛内閣で文相・厚相。
  • 松岡洋右(外相):第2次内閣で対外強硬論を唱え、総辞職の形で更迭された。
  • 東条英機(陸相):第3次内閣で対米主戦論を唱え、後任の首相となった。
  • 東久邇宮稔彦王(第43代首相):近衛が副首相格として補佐。
  • 蒋介石(国民党主席):盧溝橋事件を契機に抗日を推し進めた。
  • 汪兆銘(国民党左派):対日和平を掲げて蒋と決裂し、南京政府を樹立。
  • ヒトラー(ドイツ総統):日独伊三国同盟を締結。
  • ムッソリーニ(イタリア首相):日独伊三国同盟を締結。
  • ルーズベルト(アメリカ大統領):近衛が直接会談を構想するが頓挫した。

(2017/12/04 改作)

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