クレメンス・フォン・メッテルニヒ
Klemens von Metternich
(1773-1859)
オーストリアの外交官・政治家
オーストリア帝国国家宰相
コブレンツ(ドイツ)出身。ストラスブール大学在学中にフランス革命に接し、ナショナリズムへの警戒心を抱く。駐仏大使を経て外相となり、皇女マリー・ルイーズとナポレオンとの結婚を画策。1814年からウィーン会議を主宰し、ロシア皇帝の神聖同盟を反動的理念に利用、また英・露・普と四国同盟を結び自由主義・国民主義運動を弾圧。宰相として大国間の勢力均衡「ウィーン体制」を支えるが、次第に影響力を失い、48年の三月革命で失脚した。
関連人物
- フランツ1世(オーストリア皇帝):主。メッテルニヒを登用して国政を任せた。
- マリー・ルイーズ(オーストリア皇女):メッテルニヒの策でナポレオンと結婚。
- フェルディナント1世(オーストリア皇帝):主。メッテルニヒ失脚後に退位。
- ナポレオン(フランス皇帝):ロシア遠征の失敗を機に対仏連合軍に包囲される。
- アレクサンドル1世(ロシア皇帝):ウィーン会議で神聖同盟を主唱。
- ハルデンベルク(プロイセン宰相):ウィーン会議で領土拡大に成功。
- タレーラン(フランス外相):ウィーン会議で正統主義を唱えて国益を擁護。
- カニング(イギリス外相):中南米諸国の独立を支援し、ウィーン体制に反抗。
- モンロー(アメリカ大統領):中南米諸国と欧州諸国との相互不干渉を表明。
- リスト(経済学者):ドイツの経済的統一を唱え、メッテルニヒ政権と対立。
- ベートーヴェン(作曲家):ウィーン会議でカンタータ「栄光の瞬間」を発表。
- ザッハー(料理人):メッテルニヒの依頼で賓客用の菓子ザッハトルテを考案。