源義家 / 八幡太郎
みなもとのよしいえ / はちまんたろう
(1039-1106)
平安時代後期の武将
河内源氏第3代棟梁
源頼義の長男。石清水八幡宮で元服して八幡太郎と称す。前九年合戦で父に従い、安倍氏を滅ぼす功を上げる。京では白河天皇に近侍し、悪僧による強訴の鎮圧に活躍。1083年、陸奥守として出羽清原氏の内紛に介入(後三年合戦)、清原家衡らを討つが、朝廷からは私戦と見なされ恩賞はなかった。後に院昇殿を許されたものの、弟義綱との確執、次男義親の濫行、三男義国と弟義光との合戦など晩年は不祥事が相次ぎ、死後に河内源氏は没落した。
義家は下野守・陸奥守などを経て、位は正四位下に至り、院の殿上となって、その武威は天下に知れ渡った。まさに大将軍にふさわしい者であった。
藤原宗忠「中右記」
嘉承元年(1106)7月16日
義家への弔辞
関連人物
- 白河天皇(第72代天皇):主君。
- 源頼義(源氏の棟梁):父。出羽清原氏の支援を得て前九年合戦を平定した。
- 源義綱(源氏の武将):長弟。郎従相互の所領を巡って義家と対立した。
- 源義光(源氏の武将):次弟。合戦後に東国進出を図り、常陸に勢力を築いた。
- 安倍貞任(陸奥の豪族):父頼時を受け継ぎ、源氏方に抵抗するが敗死。
- 清原武則(出羽の豪族):源氏方を応援して安倍氏を鎮圧。奥六郡を継承した。
- 清原家衡(出羽の豪族):武則の孫。清衡と内紛を起こす(後三年合戦)。
- 清原清衡(出羽の豪族):義家の応援で後三年合戦に勝利。奥州藤原氏の祖。
- 源義親(源氏の武将):次男。濫行が多く、配流先で平正盛に追討された。
- 源義国(源氏の武将):三男。下野に勢力を築き、新田氏・足利氏の祖となる。
参考資料
- 菊池容斎:「前賢故実」より