明恵房高弁
みょうえぼうこうべん(1173-1232)
鎌倉初期の華厳宗の僧・歌人
紀伊国出身。俗姓は平姓伊藤氏。幼少で両親を失い、神護寺で密教と華厳を学ぶ。東大寺へ転学後、23歳で紀伊白上へ遁世して修行生活に入った。この間に釈迦を慕って天竺巡礼を志すが、春日明神の託宣により断念。1206年、後鳥羽上皇から山城栂尾の地を賜って高山寺を開き、華厳と密教の融合、学究と修行の統一を図った。著書「摧邪輪」で法然の専修念仏を批判したほか、栄西から譲り受けた茶の栽培、承久の乱で入京した北条泰時との交流で知られる。
関連人物
- 上覚(真言宗の僧):叔父で師。
- 文覚(真言宗の僧):師。上覚の師。
- 栄西(臨済宗開祖):禅の師。宋から持ち帰った茶種を明恵に贈った。
- 法然(浄土宗開祖):専修念仏を「菩提心の否定」と批判された。
- 西行(僧・歌人):歌人として明恵が影響を受けた。
- 後鳥羽上皇(第82代天皇):明恵に栂尾の地を下賜した。
- 北条泰時(六波羅探題):明恵の説法に感銘して帰依した。
参考資料
- 松平定信編:「集古十種」より
参考リンク
- 明恵の歌(やまとうた)